亀山城


多門櫓

亀山市

亀山古城跡
北条氏被官であった関実忠は、文永元年(1264)
久我から亀山に移り、若山の地に築城したとされる。
これが亀山城で、近世の亀山城と区別するために
亀山古城とよんでいる。また、若山が「赤山」の訛り
と考えられたことから、後に丹陵城と称したという。
以後、関氏累代の居城であったが、元亀4年(1573)
織田信長により関盛信が追放せれ、亀山城は
神戸信孝に与えられた。天正11年(1583)閏正月
に羽柴秀吉の攻城に際し、武将の佐治新介はよく
防戦したものの、加藤清正・山内一豊・細川忠興
らの猛攻により、遂に落城し、関盛信の子一政が
城主となった。その後、関一政が陸奥白河に移され
、岡本宗憲が新たに城を築くにあたり廃城となった。






平成19年4月15日午後12時19分頃発生の地震は
亀山市で震度5強を観測。この地震により、亀山城多聞櫓
石垣の北西隅部分高さ4.5m、幅2mにわたって崩落。






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