鎌倉時代
源頼朝出生地

名古屋市熱田区白鳥2 誓願寺門前
この地は平安時代の末期、熱田大宮司藤原氏の別
邸があったところで、藤原季範の娘由良御前は、源
義朝の正室となり、身ごもって久安3年(1147)熱田
の実家に帰り、この別邸で頼朝を生んだといわれる。
享禄2年(1529)別邸跡に、妙光尼日秀、世にいう
善光上人により誓願寺が建てられた。妙光山と号し、
西山浄土宗の寺で本尊は木造阿弥陀如来坐像であ
る。
東山古窯跡群

この古窯は、昭和47年3月に発掘された鎌倉時代
初頭の登り窯で、まきを入れたり製品をとり出す
焚口、燃料のまきをもす燃焼室、製品を入れる
燃成室、煙突の役目をする煙出しの各部分が南
面する丘の斜面を利用して造られています。
出土した遺物は、日用品の茶碗、小皿、鉢など
のほか、寺院の注文うぃ受けて特別に焼いたと
みられる瓦、香炉、壺などがあり、当時の窯業
生産のあり方を知るうえで、貴重な資料となって
います。

名古屋市千種区・東山動植物園
三十三間堂

京都市
1266年に再建される。
北畠具行卿の墓



滋賀県米原市
後醍醐天皇を擁立した討幕計画である元弘の変
(1331)の中心人物・北畠具行は、捕らえられ鎌倉
に送られる。その途中この地にとどまり、護送する
京極高氏によって再三幕府へ助命嘆願されるが、
この地で処刑。
柏原宿散策マップにはこのあたりが東山道となっていた。
蓮華寺

滋賀県米原市番場
北条仲時以下432名墓所

足利尊氏に攻められ六波羅探題北条仲時は鎌倉へ
と逃げるため番場宿まで来たが、佐々木京極道誉ら
に行く手を阻まれ奮戦むなしく、元弘3年5月9日
(1333)この寺で自刃した。往僧同阿はこれを丁重
に葬り、法名を授けその姓名を陸波羅南北過去帳
で蓮華寺過去帳として書き残したがこれが現在
重要文化財としてこの寺に伝わっている。
1333.5鎌倉幕府滅亡
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