掛川城




掛川城

掛川城より東に500mほどのところにあった掛川古城は、
戦国時代の明応61497)年から文亀元(1501)年の間に、
駿河の守護大名今川氏が遠江支配の拠点として重臣
朝比奈泰熈に築かせたと言われる。その後、遠江における
今川氏の勢力拡大に伴い、掛川古城では手狭となり、
永正91512)から101513)年頃に現在の地に掛川城が築かれました。

永禄31560)年桶狭間の戦で今川義元が織田信長に討たれると、
永禄111568)年義元の子氏真は甲斐の武田氏に
駿河を追われ、掛川城に立て籠りました。翌年、徳川家康は、
掛川城を攻め長期にわたる攻防の末、和睦により開城
させました。家康領有後、重臣石川家成が入城し、
武田氏侵攻に対する防御の拠点となりました。

天正181590)年全国平定を達成した豊臣秀吉は、
徳川家康を関東へ移すと、家康の旧領地に秀吉配下の大名を配置し、
掛川城には山内一豊が入りました。一豊は城の拡張や城下の
整備を行うとともに、掛川城に初めて天守閣をつくりました。

江戸時代の掛川城は、東西約1400m、南北約600mに及び、
徳川家康の異父弟の松平定勝や子、江戸城を築いた
太田道灌の子孫太田氏など譜代大名の居城として栄えました。

貴族的な外観をもつ天守閣の美しさは「東海の名城」と
謳われました。しかし、嘉永7(安政元、1854)年安政の
東海大地震により天守閣など大半が損壊し、御殿、太鼓櫓、
蕗の門などの一部を除き、再建されることなく明治維新
を迎え、明治21869)年廃城となりました。

その後、御殿は様々に使用されながら残りましたが、
天守台や本丸の跡など一帯は公園とされてきました。
掛川市民の熱意と努力が実を結び、天守閣は平成
6年に
140
年ぶりに木造で再建され、ふたたび美しい姿を現しました。










静岡県掛川市掛川

新幹線より、小さく掛川城が見える。


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