海北友松


慶雲館にて

長浜市港町

近江国浅井郡(浅井町瓜生といわれる)に生まれ
る。浅井長政の家臣海北善右衛門綱  親の三男
(五男ともいう)。名は紹益。織田信長の小谷攻め
により父や兄は幼少から京都東福寺に預けられて
いたため生き残った。40歳代で還俗し、海北家の
再興を願ったが果たせず、画業に情熱を注いだ。
慶長3年(1598)に石田三成と九州へ旅をし、「絵
をかくこと妙なる友松」と称され、この頃には画家
として名を上げていた。画家としては遅かったが、
その師は狩野元信とも狩野永徳ともいわれる。
友松のいた東福寺など禅宗寺院に伝わる宋元画
から多くを学ぶ。水墨画の手法による作品が多く、
とくに梁楷の滅筆体の解釈によるとされる「袋人
物」の手法は独特。最晩年には宮廷の御用をつ
とめるなど名声を得たが、悠々自適の個人的制
作をすすめ、子の友雪のほか門人は多くを持た
なかった。元和元年(1615)83歳で没した。




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