加賀井重望
岐阜県羽島市下中町加賀野井
別名、重茂、秀茂、秀望。
はじめ織田信長に仕え、没後信雄に仕える。
この城の築城年代は明らかではないが、天正年間
(1573〜1591)には、加賀野井弥八郎秀望が織田
信雄の臣下となり、415貫文(1万石)を領して城主
となっていた。本能寺の変(天正10年・1582)の後、
豊臣秀吉と主筋織田家との間に対立が生じ、天正
12年4月長久手において戦ったが、豊臣方の大敗
となり、翌5月緒戦の雪辱のため一転して当城を
攻撃した。城中には信雄の招兵2000余騎も加わり
必死に防いたが、豊臣方10万の大軍の前に抗しき
れず、城の明け渡しと、助命を条件に講和を申し入
れたが、秀吉は受け入れなかったそのため、5日
夜陰に乗じ大手門より打って出て、最後の決戦を
試みた。衆寡敵せず城兵は枕を並べて討死し、
城主は辛くも脱出して関東にのがれて落城する。
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