御坊丸


織田信長の五男。(四男とも)
幼名、坊丸。織田勝長。別称、津田源三郎、織田信房。

なお、京都市の阿弥陀寺の本能寺変討死衆
位牌拓本には、津田源三郎の名がある。

岩村城

岐阜県恵那市岩村町

織田信長は遠山氏の抱きこみをはかるため、政略
結婚として自身の叔母(修理夫人)を遠山景任に
嫁がせた。景任は嗣子なくして病死。織田信長の
五男・御坊丸を養子としてむかえた。



まだ幼かったため、城の采配は織田信長の叔母・
修理夫人が握った。そのため女城主といわれた。
元亀3年(1572)、武田信玄の武将・秋山信友
は岩村城を攻撃するも、なかなか陥落しそうも
ないため、秋山信友は”和睦に応ずれば、あなた
を妻とし、御坊丸を養子として家督を譲る”と和議
をもちかけた。修理夫人はこの提案を承諾した。
しかし、御坊丸は甲斐に送られ、信玄の人質と
なった。その後、9年間武田家の人質となってい
たが、天正9年(1591)に安土に送還され、その後
犬山城主となるも、本能寺の変で討ち死にする。









変戦没者合祀墓

京都市中京区

津田源三郎の名がある。

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