板垣退助



岐阜公園

明治の政治家。土佐高知藩出身。

明治15年4月6日に自由党総理板垣退助が
各地遊説の途中、岐阜公園に立ち寄り、演説をして
帰るときに教員相原尚ふみに刺されたとき残した
「板垣死すとも自由は死せず」という名言は有名。

後藤新平宅

名古屋市中区

後藤新平宅跡
安政4(1857)岩手県水沢市に生まれた福島県須賀
川医学校卒業後、招かれて来名。明治13年(1880)
愛知県病院長兼医学校長となり、明治16年、内務省
に転ずるまでここに住んでいた。明治15年、岐阜で
自由党総裁板垣くが刺客に襲われた時、ここより
人力車で馳せつけ応急手当をしたといわれる。
のちに内務大臣・伯爵となり政界で活躍した。




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