稲葉宿


                                 稲葉一里塚跡
                          

                                   稲葉宿本陣の碑
                          
                                     稲沢市稲葉


                          

                                    稲葉宿問屋場址
                          

                          四ッ家追分から分かれたこの美濃路の稲葉宿は、
                          慶長5年に開設せられ本陣、脇本陣の外、小沢、東
                          町、西町には問屋が置かれて人馬の往来、物資の
                          輸送の便に供されたが、文政5年頃には、人足・45人、
                          馬45頭が常備せられ、また、助郷の制もあった。ここ
                          は東町問屋場址であり、宿役人・伊東氏の住居である。

                                    津島道道標
                          

                                    美濃路の由来
                          美濃路は、天正年間(今から約400年前)織田信雄
                          が幅五間(9m)の道路に改修させたのが始まりで、
                          東海道と中山道を結ぶ重要な脇街道であった。
                          宮の宿(熱田)で東海道と分かれて、名古屋・清須
                          (清洲町)を経て北市場地内を通り、稲葉・起・墨俣・
                          大垣の各宿を経由して垂井宿で中山道と合流する。
                          その里程は14里24町15間(57.6km)といわれた。
                          この道は、慶長5年(1600)の関ヶ原の役にも重要な
                          役割を果たした。即ち東軍の先鋒として福島正則が
                          この道を西に進み、さらに勝利をおさめた徳川家康が
                          この道を通って凱旋した。家康凱旋路・天下一統に
                          因み、江戸時代にはこの道を吉例街道と呼び、江戸・
                          京都間の往来に盛んに利用された。

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