稲葉一鉄


                        稲葉一鉄(良道)寄贈の梵鐘
                    

                    一鉄は、西美濃の豪族、稲葉通貞の末子で、当山
                    第2世仁岫(第3世快川という説もあり)のもとで修行
                    をしていた。
                    しかし、大永5年(1575)牧田の戦いで父子6人が討
                    死したので、11歳で一鉄は、還俗し、家を継ぎ、土岐
                    頼芸に仕えた。
                    土岐氏滅亡後、斎藤氏に仕え、曽根城(大垣市)を
                    居城とし、西美濃三人衆(稲葉一鉄・氏家卜全・安藤
                    守就)の一人として活躍。その後、信長・秀吉などに
                    も仕え、清水城(揖斐川町)で、74歳で死去。
                    この梵鐘は後年、一鉄が寄贈したものである。
                              (太平洋戦争で供出、戦後再製)

                                曽根城
                    
                             岐阜県大垣市・華渓寺

                    西濃三人衆の一人稲葉一鉄の居城。春日局の出生
                    地のひとつである。

                    
                            岐阜県大垣市

                               清水城跡
                    


                    
                              岐阜県揖斐郡揖斐川町清水(清水小学校内)

                               清水城平面図
                   延文元年(1536)林七郎左衛門通兼が清水山に城を
                   築いた。その二百年後、弘治三年(1557)一鉄(良通)
                   が、この城を攻め落とし、城の石垣をこわし、ここに平地
                   の城として、内堀外堀をめぐらし、立派な城を築き、天正
                   七年より、一鉄、重通、通重の三代、二十八年の居城
                   であった。

                                 月桂院
                   
                         岐阜県揖斐郡揖斐川町長良72

                   

                               一鉄公墓
                   

                           稲葉一族・池田恒利の墓
                    
                           
岐阜県揖斐郡池田町本郷

                    

                    稲葉氏は通貞(塩塵。天文7(1538)没)以来西美濃
                    一帯に勢力をはった一族で、通貞は当町小寺に小寺
                    城を築き、子の通則の代もこの城に住んだとされる。
                    大永5年(1525)、浅井・朝倉連合軍、美濃侵攻の際
                    に、通則は土岐頼芸の指揮のもと一鉄(六男)を除く
                    5人の息子と共に出陣、牧田(現大垣市上石津町)で
                    ことごとく討ち死にした。一鉄は岐阜長良の崇福寺に
                    入っていたが、これを機に還俗して稲葉家を継ぎ、後
                    に氏家卜全、安藤守就と共に美濃三人衆と呼ばれる
                    ほど勇名をはせることになる。当地は、一鉄が牧田
                    合戦で戦死した父兄6人及び先祖を供養するために
                    建立した養源院の跡地一画と伝えられる。ここには、
                    稲葉家の祖塩塵と息子通則。その子通勝・通房・
                    稲葉則弘(詳細不明)らが厚く奉られている。他に母
                    が一鉄の娘である国枝重元、稲葉通勝の妻(国枝
                    宗竜の娘か)など、稲葉家に関係する人物や池田
                    恒興の父恒利の墓、国枝重次(宗竜の兄弟)らも奉
                    られている。


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