今須宿


一里塚




問屋

関ヶ原町

江戸時代、人や馬の継ぎ立てなど行った問屋が、
当宿には一時7軒もあって全国的にも珍しいことで
した。美濃16宿のうちで、当時のまま現存し、その
偉容を今に伝えているのは、ここ山崎家のみです。
縁起物の永楽通宝の軒丸瓦や、広い庭と吹き抜
けなどから、当時の繁栄振りがうかがえます。

中山道今須宿 本陣跡・脇本陣跡


当宿は美濃国と近江国の境として栄えました。
215坪の本陣が一軒で、現在の小学校と支所
付近一帯に位置していました。また、脇本陣は
美濃16宿の中でも当宿のみ2軒あり、各々
現在の小学校駐車場附近辺りにあったのです。
後者河内家の母屋は寛政年間に現米原市
伊吹町の杉沢地内妙応寺末寺玉泉寺に移築
され、当時の面影を今に伝えています。尚関ヶ原
合戦の翌日、佐和山城攻めに際し、家康が
本陣伊藤家の庭先で休息した折、腰掛けた
という石は、現在東照宮大権現腰掛石とし
て、青坂神社境内で保存展示されています。



常夜灯


街道が賑わっていた江戸期は、文化5年(1808)
のことです。京都の問屋河地屋は、大名の荷物
を運ぶ途中ここ今須宿付近で、それを紛失し途方
に暮れていました。そこで金毘羅様に願をかけ、
一心にお祈りをしました。幸いに荷物は出てきて、
そのお礼にと建立したのがこの常夜灯です。








寝物語の由来
近江と美濃の国境は、この碑の東10m余にある
細い溝でした。この溝を挟んで両国の番所や
旅篭があり、壁越しに「寝ながら他国の人と話し
合えた」ので寝物語の名が生れたといわれてい
ます。また、平治の乱(1159)後、源義朝を追って
来た常盤御前が「夜ふけに隣り宿の話声から家来
の江田行義と気付き奇遇を喜んだ」所とも「源義経
を追って来た静御前が江田源蔵と巡り会った」
所とも伝えられています。寝物語は中山道の
古跡として名高く古歌等にもこの名が出ていま
すし、広重の浮世絵にもここが描かれています。
ひとり行く 旅ならなくに 秋の夜の
寝物語も しのぶばかりに
           大田道灌




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