今川塚
愛知県清須市新川町大字須ヶ口
1560年、織田信長は4万の大軍を率いる桶狭間で
奇襲し、わずか3千の兵でうち破った。
義元の首級と義元愛用の刀、宗三左文字と脇差を
掲げ、熱田から清洲まで美濃路を凱旋した。
信長はこの地に、敵将今川義元の首をさらし、その
菩提を弔うため、、義元塚を築き、衆僧に千部経を
読ませ、大卒塔婆を立てたといわれている。
石碑は正覚寺三誉上人が建てた供養碑という。
*名鉄須ヶ口駅から西進し、県道給父西枇杷島線を
越えてすぐ南に入ると須ヶ口墓地に至る。
今川塚は、その傍ら、現在は山内家の敷地の一角と
なっている。
上の写真は、家の方にお願いして撮らしてもらいまし
た。ありがとうございました。
現在、実際に今川塚の北の方約1km先に正覚寺
はある。
H19.11 正覚寺に移転された。
正覚寺
愛知県清須市新川町須ヶ口
新川町のホームページには、正覚寺三誉上人のこ
とは、説明されてはいない。
説明されているのは、下の写真の仏足石である。
仏足石
正覚寺内
徳川家康の四男・忠吉ゆかりの寺・正覚寺。
仏足石は山門をくぐった右手にあり、慶応3年に建立
される。これを拝めば罪が消滅すると書かれている。
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