生駒家長
家長夫婦の墓
江南市・宝頂山墓地
生駒家宗の子。娘は蜂須賀家政の妻。高松藩初代
藩主生駒親正は義理の従兄弟。織田信長の側室・
生駒吉乃の兄。子に尾張藩士生駒利豊がいる。
宝頂山墓地
宝頂山墓地
宝頂山墓地一帯は生駒家五代当主利豊の隠居所で、
この付近に住んでいたと伝えている。言い伝えによる
と利豊は年老いてから生きながらにして成仏したいと
願って、その日を誕生日と決めて断食し水を呑むだけ
の生活に入ったが、望みはかなえられなかった。
六代当主利豊はその心情を思い利豊夫妻を住居に
ふさわしい石廟形式の墓を作って葬ったものである。
それに四代当主家長夫妻の五輪塔を併せて祀り、
後世になって十代当主周房の墓碑が加えられている。
右端から家長夫妻(信長の室・吉乃の方の兄)の五輪
塔で平安後期から密教系の塔とされていたが、その後
宗派を越えて石塔の主流になって、身分の高い階級の
墓碑として作られるようになった。家長は、信長・秀吉
に仕え慶長12年(1607)に死去、利豊は尾張藩主徳川
義直に仕え、数々の勲功をたて寛文10年(1670)に96
歳という長寿でこの世を去っている。利豊の夫人は美濃
の苗木城主遠山氏の娘で利豊によく仕え82歳で死去。
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