飯沼勘平長資の墓



岐南町

飯沼勘平長資は、下総の国(千葉県)から出た源氏
の武将の子孫で、その頃岐阜城主であった織田
信秀に仕えていた池尻城主の飯沼勘平長実の子
です。関ヶ原合戦がはじまる前、慶長5年(1600)
8月のおわり、米野の戦いで秀信側の西軍は、
木曽川の北岸の7千人で陣をとり、東軍は、池田
輝政を先鋒とし1万8千が川島から木曽川を越え、
両軍は、米野・平島あたりで激しい戦いをくりひろ
げました。飯沼勘平長資は、この戦いで力一杯戦い
最期をとげました。時8月22日、勘平21才のときでした。



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