飯田城


お菓子の里飯田城

飯田市育良町

写真は、お菓子の里飯田城。
飯田城跡は、飯田市追手町です。





飯田城歴代城主
室町時代 坂西氏
現愛宕神社に飯坂城(愛宕城)をつくる
愛宕より現長姫神社に飯田城を移す。
(長姫城、三本杉城、六本杉城とも云われる)
天文23年(1554)武田信玄の支配下となり
家臣跡部美作守入る
武田信玄家臣秋山信友郡代として入る
元亀2年(1570)三河・美濃・遠州攻略の
為の最前線基地として重要視される。
天正元年(1573)2月信玄死す
天正10年(1582)3月織田信長家臣
毛利秀頼城主となる。(十万石相当)
天正10年(1582)6月2日信長死す
天正10年(1582)8月家康配下下条頼安城主となる。
天正15年(1587)家康家臣菅沼定利城主となる。
菅沼氏家康と共に関東へ移り上州吉井2万石の城主となる。
天正18年(1590)秀吉側近毛利秀頼伊那郡10万石
の城主となる。本格的な城下町造りが始まる。
文禄2年(1593)毛利氏死去により、
婿の京極高知城主となる。
慶長2年(1597)京都を模した碁盤の目
の様な街並が出来上がる。
城下町の姿が完全に整い現在に至る。
慶長5年(1600)関ヶ原の合戦
下総の古河城(2万石)より、戦功により3万石
加増された小笠原秀政城主となる(5万石)
(婦人は家康の孫である)
慶長18年(1613)秀政8万石に加増され故郷の松本へ移る
秀政の家臣香坂七郎右衛門城代となる
元和3年(1617)伊予大州より脇坂安元
移り城主となる(5万5千石)
承応2年(1653)安元病死の為、脇坂安治城主となる
寛文12年(1672)脇坂安治播州竜野に移る
下野国鳥山より堀親昌移り城主となる(2万石)
親貞(二代)
親常(三代)
親賢(四代)
親庸(五代)
親蔵(六代)
親長(七代)
親忠(八代)
親民(九代)
親宝(十代)
親義(十一代)
親広(十二代)
明治2年6月(1869)版籍奉還
明治4年10月(1871)飯田城取り壊し



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