家康の身長


松平八代徳川歴代将軍位牌堂

岡崎市鴨田町・大樹寺

    歴代将軍の等身大の位牌がある。

徳川歴代将軍
      出生〜死亡 年 位牌高さ
初代 家康 1542〜1616 75 159.0cm
2代 秀忠 1579〜1632 54 160.0cm
3代 家光 1604〜1651 48 157.0cm
4代 家綱 1641〜1680 40 158.0cm
5代 綱吉 1646〜1709 64 124.0cm
6代 家宣 1662〜1712 51 156.0cm
7代 家継 1709〜1716  8 135.0cm
8代 吉宗 1684〜1751 68 155.5cm
9代 家重 1711〜1761 51 151.4cm
10代 家治 1737〜1786 50 153.5cm
11代 家斉 1773〜1841 69 156.6cm
12代 家慶 1793〜1853 61 153.5cm
13代 家定 1824〜1858 35 149.9cm
14代 家茂 1846〜1866 21 151.6cm
15代 慶喜 1837〜1913 77 位牌無し


ちなみに、桂昌院の生前の身長は、後の遺体発掘で
判ったことだが、百四十六・八センチ。徳川将軍の
正室・側室の平均百四十四・八センチの中でもすこし
高い方である。なお、身長に関して、綱吉が低身長症
(百二十四センチ)だったとするのは、綱吉を憎悪した
六代将軍家宣とその子・七代将軍家継時代の悪質な
作為である。綱吉は生前オランダ人と比較的多く会って
おり、彼らの残した記録では「立派な風貌に強い印象を
受けた」となっている。世辞をいう必要のない彼らの意見
の方が正解である。綱吉は将軍の平均身長(百五十五
センチ)前後あった。また、そうでなければ、自分を生ん
でくれた桂昌院に、これほどの孝養を尽くすはずもない。
余談だが、逆の作為が後の八代将軍吉宗の身長である。
その偉大さを強調するため、使用した太刀、鎧、さらには
「大わらじ」まで造って六尺豊かな大男に創り上げた。が、
吉宗も将軍の平均値以上の存在ではない。閑話休題。
加藤廣著「謎手本忠臣蔵(上)」より


四肢骨からの推算
徳川秀忠158cm足らず
徳川家宣160cm
徳川家重156.3cm
徳川家慶154.4cm
徳川家茂156.6cm
骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと 鈴木尚著より

将軍の等身大と言われる位牌と四肢骨からの推算との
違いのなかにどんな物語が隠されているのだろうか。

大樹寺・山門


徳川家菩提寺
松平家(徳川将軍家の租)、徳川将軍家の菩提寺で、
1475年、松平4代親忠が勢誉愚底上人を開山として
建立したものです。松平8代の墓、歴代将軍の位牌、
家康73歳の時の木像などが祭られ、多宝塔(松平7代
清康建立)は国の重要文化財に指定されています。三門、
総門を通して、南方3kmに岡崎城を望むことができる。


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