家康の本能寺


守山崩れ
天文4年(1535)12月4日早朝、岡崎城主・
松平清康が尾張国春日井郡守山の陣中に
おいて、家臣の阿部弥七郎正豊に暗殺
された事件をいう。松平氏は、この事件を
契機に力を失っていく。

守山城

名古屋市守山区市場

清康は、「30半ばまで生きていれば、
天下を取ることもできた」とまで謳われた
ほどの名将であった。しかもその清康は、
家臣に暗殺された。


家康は信長に祖父清康の姿を見ていた
のではないだろうか。家系における学びは
織田家よりも徳川家の方が数代早かったの
かもしれない。その差によって家康は天下
をとれたのではないだろうか。

下記の本を、是非、参考にしてみてください。



旧本能寺

京都市中京区元本能寺南町

伊賀越え
本能寺の変に際して徳川家康が滞在先の
堺から領国の三河国へ戻る道程を指す。

初代茶屋四郎次郎清延は徳川家康の
伊賀越えに協力したことで知られる。



    茶屋四郎次郎・新四郎屋敷跡



茶屋四郎次郎・新四郎屋敷跡は
本能寺と南蛮寺
の間にある。

南蛮寺





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