百済寺



滋賀県東近江市百済町

百済寺
聖徳太子の御願によって創建されたと伝えられる。
白鳳期と推定される布目の瓦の破片が出土している
ことからすでにこの時代に瓦を用いた寺院が建築
されていたことが推定され、愛知郡誌によると近江国
最古の寺院である。東寺観智院年代記に天養元年
(1144)百済寺天台別院と号すと書かれており、
源平盛衰記に寿永2年(1183)木曽義仲に百済寺
より500石の兵米を送ると記されている。室町時代
明応7年に自火によって本堂付近を焼失し古記録など
の焼失によって寺歴を物語るものがなくなっている。
その後文亀3年の兵火、天正元年信長の焼討に
より更に衰微し現本堂は慶安3年の建立である。



最後の「山城!!」の偉容
前方の石垣遺構は城砦化された「百済寺城」の一部
です。小石を積み上げた石垣であったため、信長も
安土への「石曳く」をせず破壊されずに残りました。





天下遠望の名園(喜見望郷庭)
釈迦山百済寺(ひゃくさいじ)は近江最古のお寺です。
およそ1400年昔の推古14年(606)に、百済博士
恵慈(高麗僧)の案内でこの地を訪れられた聖徳太子
さまは、「近江の地理的重要性」を逸速く見抜かれる
とともに既に先進技術と文化で湖東平野を開拓
しつつあった渡来人のために百済(くたらじ)を
創建されたと伝えられております。湖東平野と琵琶湖
をかすめて真西の遠方50km先に富士山のように
聳えるお山が比叡山です。春秋のお彼岸には真っ赤
な夕陽が真西の比叡山頂に沈んで行きます。さらに
その延長線上800km先には、渡来系の人々が望郷
の念を抱いていた母国の百済がありました。
その雄大さから喜見院の庭園が別名「天下遠望の
名園」と称される所以です。一方。現在の湖東平野には、
東海道新幹線・JR東海道線・名神高速道路・国道8号線
(旧中山道)などに加えて幹線通信網が整備された
日本列島の幹線動脈地帯なのです。この地を選ばれた
聖徳太子さまと恵慈博士の先見性にはただ驚くばかりです。






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