舟田城
正法寺跡
正法寺は、14世紀中頃、美濃の守護土岐頼康に
よって、革手城の北に建立された寺院である。応仁
文明の乱(1467〜1477)により、一条兼良・雪舟等
揚・足利義視などの当代一流の文化人や有力者が
多くこの地を訪れ、文化の花が開いた。明応4年
(1495)船田合戦が始まると、正法寺は戦場となり、
被害を受けた。その後、永禄4年(1561)兵火にか
かって焼亡し、慶長年間(1600年頃)には、加納城
築城のため、寺地内の土石が採取されたと伝えら
れる。このように正法寺は、土岐氏の衰亡とともに
衰微、現在は薬師堂が往古をしのばせるだけである。
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