深溝松平家


深溝城

額田郡幸田町深溝

深溝城は、14世紀初めに築城された平山城で、
面積7千uほどであった。初代深溝城主は大庭氏。
二代城主は松平氏。初代忠定が大庭氏を大永年間に
討つ。二代目好景、三代伊忠、四代家忠まで在城し、
家忠が天正18年(1590)に関東に移る。慶長5年(1600)
五代忠利が移り、深溝1万石が成立。慶長17年(1612)
吉田城に移る。三代城主は板倉氏、慶長19年(1614)
に板倉領となり、重昌により寛永元年(1624)深溝藩
が成立。寛永15年(1638)島原の乱で重昌は戦死。
長男重矩は中島藩に移り、次男重直が8千石の
旗本となり陣屋として明治に至る。





瑞雲山 本光寺

額田郡幸田町

戦国時代、三河地方に勢力を拡げようとした
松平氏は、深溝城主の大場氏(大庭氏)を
うちやぶり、戦功によって、一族の松平忠定公
に深溝城を与え、勢力拠点の一つとしました。
深溝松平氏代々は、松平本家(徳川氏)に従って
戦功をあげて栄え、九州・島原7万石の大名となり、
明治をむかえました。本光寺は、大永3年(1523)
忠定公によって建立され、以来歴代菩提所として
信仰厚く保護され今日に至っています。



松平家菩提所
徳川氏を支えた十四松平の一つ。
深溝松平は、大永年間(1520年代)から、
この地に確固たる地位を築き、祈願所として
本光寺を建てた。松平宗家に命がけの忠誠を
示す、深溝松平の興亡をかけた歩みが始まった。
二代好景 西尾の善明堤で討死
三代伊忠   長篠の戦いで討死
四代家忠      伏見城で討死
西廟所には、初代忠定から四代家忠までの
墓があり、東廟所には肥前島原七万石の
城主となってからも、死後は父祖の地に
帰った十九代におよぶ人々が眠っている。

西廟所


東廟所




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