深溝松平


瑞雲山 本光寺

額田郡幸田町

戦国時代、三河地方に勢力を拡げようとした
松平氏は、深溝城主の大場氏(大庭氏)を
うちやぶり、戦功によって、一族の松平忠定公
に深溝城を与え、勢力拠点の一つとしました。
深溝松平氏代々は、松平本家(徳川氏)に従って
戦功をあげて栄え、九州・島原7万石の大名となり、
明治をむかえました。本光寺は、大永3年(1523)
忠定公によって建立され、以来歴代菩提所として
信仰厚く保護され今日に至っています。



松平家菩提所
徳川氏を支えた十四松平の一つ。
深溝松平は、大永年間(1520年代)から、
この地に確固たる地位を築き、祈願所として
本光寺を建てた。松平宗家に命がけの忠誠を
示す、深溝松平の興亡をかけた歩みが始まった。
二代好景 西尾の善明堤で討死
三代伊忠   長篠の戦いで討死
四代家忠      伏見城で討死
西廟所には、初代忠定から四代家忠までの
墓があり、東廟所には肥前島原七万石の
城主となってからも、死後は父祖の地に
帰った十九代におよぶ人々が眠っている。

西廟所


東廟所



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