本郷城



揖斐郡池田町本郷字北瀬古

承和(834〜847)頃、池田維実がいたとも、南北朝期
に土岐頼忠(のちの五代目美濃国守護。応永4年
(1397)没)が、築いたともいわれるが築城時期は
明らかでない。頼忠の子頼益は、父についで本郷城
に居り、のちに萱津(現愛知県甚目寺町)に移ったと
される。土岐氏が出た後の本郷城は、この地の豪族
国枝為助が居城とした。為助は明応4年(1495)、船田
合戦で兄弟5人と共に討死にしたが、国枝氏は以後も
代々ここを本拠とした。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦
の時には、国枝重元の弟修理亮政盛が城主であった
が、西軍に属したため、城は東軍によって焼き払われ
てしました。本郷城は堀と土塁を二重にめぐらせた輪郭
式平城であるが、現在往時の面影はほとんどない。
明治期の地籍図をもとに城を復元すると、城域は東西
116m、南北149mと不整形な台形を呈すると推定さ
れる。現在、内郭の櫓(天守)台を含む35m四方程が
遺存し、この部分は町の史跡として保存されている。











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