本多忠勝


                 
                           岡崎市西蔵前町峠

                           本多忠勝誕生地
                 徳川四天王に数えられる本多平八郎忠勝の誕生地
                 である。本多氏は松平二代康親に仕えて以来、代々
                 殊功をあげた。祖父忠豊・父忠高の時代には蔵前に
                 居住し、天文17年(1548)忠勝はここで生まれたとさ
                 れている。「ただ勝つのみ」という願いをこめて名付け
                 られた本多忠勝は、永禄3年(1560)大高城(名古屋市
                 緑区)攻めで初陣、それ以後生涯で57回の合戦に出陣
                 したが、ただ一度も負傷しなかったといわれている。
                 家康の家臣の中でも抜群の戦上手であり、桶狭間の
                 戦いから大阪冬の陣まで家康とともにすべての戦を戦
                 い抜き、開幕時には、桑名10万石を与えられた。以後
                 子孫は姫路藩(兵庫県)、浜田藩(島根県)などを経て、
                 明和6年(1769)岡崎藩に封じられ、明治維新まで岡崎
                 藩主として祖先の地を治めた。
                 現在この地は建てられている記念碑は大正4年に子孫
                 である本多忠敬氏によって建立されたものである。

                 

                               桑名城
                 
                           三重県桑名市

                            本多忠勝像
                 

                          本多忠勝
                 天文17年(1548)徳川家の重臣本多忠高の子として
                 三河(愛知県岡崎市)で生まれ、幼名を鍋之助のち
                 平八郎と称した。
                 永禄3年(1560)、13歳で大高の役に初陣以来、大小
                 五十余の緒戦に出陣し、ついに一度も負けることなく、
                 一ヵ所の傷をも負わなかった。
                 天正18年(1590)徳川家康公関東入国の時、忠勝公
                 は上総(千葉県)大多喜、十万石を与えられた。
                 慶長元年(1600)関ヶ原の合戦に従い、戦功により、
                 同6年伊勢桑名十万石に転封された。
                 桑名に入部した忠勝公は、木曽川や伊勢湾の水運を
                 利用して発展してきた港町を城を中心にした城下町
                 に造り変えるという大規模な都市再開発事業を断行
                 した。
                 これを「慶長の町割」という。桑名で計画的に町づくり
                 が行われた最初である。
                 港町、城下町、宿場町という三機能を合わせ持つ桑
                 名の基盤造りは忠勝公の第一の功績である。
                 忠勝公は「徳川四天王」の一人と称えられ、家康公の
                 信任極めて厚く、有能で剛勇の武将であった。
                 慶長14年(1609)致仕し、嗣子忠政に家督を譲り、同
                 15年、63歳で没した。
                 西岸院殿長誉良信大居士と号し、桑名浄土寺に葬ら
                 れている。


                 


                 

                         

                 


                              多度祭
                 
                        三重県桑名郡多度町

                 多度大社の例祭は、5月4日、5日の両日行われる。
                 上げ馬神事、やぶさめ神事は多度祭の花形であり、
                 その起源は南北朝の頃に始り、武家豪族ならびに、
                 氏子達が古式のまま神様に奉納する行事として
                 行っていたが、織田信長の兵火にかかり
                 約30年余の間中断をしている。

                  

                 徳川家の時代となって本多忠勝公が、桑名城主となり
                 神社の再興をなし、三基の神輿を奉納し、第二代城主
                 本多忠政公により祭事が復興され、多度祭も復活した。

                 


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