本多忠利




本多忠利
三河国岡崎藩主。大坂夏の陣に参戦。
正保2年(1645)1月、遠江国横須賀藩へ移封。
翌月病死。六男の利長が跡を継いだ。





戦国時代末期この地方は西の徳川勢力と東の武田勢力
との境界地帯となって攻防が続いていました。天正2年
(1574)遠江国の要である高天神城が武田氏の手に
落ちました。天正8年(1580)徳川家康は、家臣の大須賀
康高に命じ高天神城を奪還するための拠点として横須賀
城を築かせました。康高が初代城主となり、以後、明治
維新に廃城となるまで288年20代の城主を数えました。

撰要寺


山門は横須賀城の不開門(あかずの門)
を明治の初め廃城時に移築したもの。




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