平針街道



名古屋市天白区平針

平針街道は、慶長17年(1612)徳川家康の命により、
三州岡崎から名古屋城への近道として造られた。
この街道は、江戸時代の主街道である五街道の
一つ東海道に対して、姫街道とも脇街道ともいわ
れた。街道の両側には松並木が続いていたが、
太平洋戦争中、造船などの必要から伐採され、今
では跡形もない。街道開通に際して人馬の継場
(つなぎば)が必要であったことから、郷の島に
あった16軒の農家に移転を命じ、街道ぞいに移り
住まわせ、「平針宿」が誕生した。その後、足助街道、
熱田街道の交わる交通の要所として発展し、本陣、
脇本陣も設けられ、宿場として大いに賑わった。





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