鎌倉街道


源頼朝は、鎌倉に幕府を開き、鎌倉に通じる全国
の主要な道を整備した。これを鎌倉街道という。

ちなみに、熱田神宮の近くには、
源頼朝出生地がある。


名古屋市熱田区白鳥2 誓願寺門前



鎌倉街道を京に引き返せば、・・・二村山・古鳴海・古渡・
稲葉地・東宿・萱津・清洲・下津・一宮・黒田・墨俣・・・・。


二村山
沓掛城
沓掛城址
愛知県豊明市沓掛町東本郷11

古渡、古鳴海と続き、二村山を経て八橋・矢作・赤坂
に至ると考えられる。二村山は「十六夜日記」や
「千載和歌集」などに登場し、古くから歌にも詠ま
れた鎌倉街道一の景勝地としてしられている。


沓掛城址

1560年桶狭間の合戦前夜に今川義元が宿泊した城
として知られている。本丸とそれをとりまく堀、二の丸、
諏訪曲輪が残っており、旧態をよくとどめている。
   

沓掛城鎌倉街道二村山を越える丘陵の端
に築城されたもので、今川義元は桶狭間の戦いの
前夜この城に泊まり、出陣した。沓掛城9代城主
近藤景春は今川軍に従い、沓掛城を死守して
いたが、義元の戦死後、信長軍に城を攻めとられ、
景春は戦死、城は空城となる。その後、沓掛城は
織田信長の勢力圏に入る。


古渡
古渡城跡
古渡城跡
       
名古屋市中区橘2 東本願寺別院内


天文3年(1534)織田信秀が築城した。信秀は、それ
まで今川氏豊から奪取した那古野城にいたが、その
子信長に那古野城をゆずり、ここに移った。信長はこ
こで天文15年(1546)13歳で元服した。城は東西140
m、南北100m、周囲に二重の堀を巡らしていたといわ
れる。天文17年信秀が末森城に移り、信長も清須城
に入り廃城となった。


稲葉地
稲葉地城

稲葉地城址


稲葉地城址
          名古屋市中村区城屋敷町
織田信長の伯父津田豊後守の城。現在は神明社。


東宿
萱津の東宿跡

名古屋市中村区東宿町

この地は萱津の東宿といわれ、庄内川をはさみ萱津
宿の出郷として、京より美濃を経て鎌倉に赴く交通の
要衝であった。また、盛んに市の立ったところで、鎌倉
時代の紀行文「東関紀行」に、「萱津の東宿の前をす
ぐれば、そこらの人あつまりて、里もひびくばかりにの
のしりあれり。今日は、市の日なむとぞいふなる。」
と当時の賑わいを記している。

豊公誕生之地
豊臣秀吉出生地
   名古屋市中村区中村町(中村公園内)


萱津
鎌倉街道

愛知県海部郡甚目寺町

光明寺

愛知県海部郡甚目寺町

光明寺は豊臣秀吉が日吉丸の頃、修行を積んだといわれる。


清洲
清洲城
清洲城
愛知県清須市清洲町

尾張の守護所のひとつ


浅野長勝宅址

愛知県稲沢市六角堂

豊臣政権の五奉行として仕えた浅野長政と豊臣秀吉
の正室ねねの義父。長勝と秀吉の関係は深かったと
思われる。                          
浅野長勝宅址の碑は民家の中に建てられている。 


下津
鎌倉街道

愛知県稲沢市下津蛇池町

鎌倉街道
この地は古く折戸の宿といって鎌倉街道が通り、交
通の要路を占めて戦国時代には、下津城も築かれ
たが、西方に岐阜街道が整備されるとともに街並も
移転して、街道としての機能を果たさなくなった。

住吉神社


黒田
黒田城趾

     
愛知県一宮市木曽川町黒田(黒田小学校)

山内一豊像


黒田城趾にて

山内一豊この城に生まれる(1545)
弘治3年(1557)7月黒田城夜討にあい父盛豊、兄十
郎討死。一豊と母弟妹は土居の後ろにかねて作って
おいたかくし窓を突き破って竹藪に逃げ、生竹を倒して
橋とし堀を渡って岩倉城にたどりついた。
のちに信長、秀吉に仕え、小田原戦の後、秀吉
より掛川5万石の領主に封ぜられた。関ヶ原の戦
いでは、いちはやく家康側につき、戦後この
功により、土佐一国20万石の大大名になった。

山内一豊の妻が夫の立身のために馬を買う金を出
した話は、古来妻の内助の功として有名。



墨俣
墨俣城



藤吉郎の馬柵


永禄9年(1566)9月墨俣築城において斎藤勢の騎
馬を防ぐため、地上高さ一間、地中三尺、松絵材使
用、藤づる二重巻きにて結び、地の周囲に二重に
柵総延長千八百間をめぐらした。
                     (前野文書より)





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