豊臣秀吉・フォトストーリー


1583年賎ヶ岳の戦いで柴田勝家を破る。

柴田勝家像
柴田勝家像
滋賀県伊香郡木之本町

柴田勝家公出生地
柴田勝家公出生地
名古屋市名東区陸前町・明徳寺

柴田勝家
柴田勝家は1630年、この地で生まれたといわれる。
幼名を権六といい、織田信長の重臣で勇猛な武将。
1556年信長の弟・信行を擁立せんとして失敗するも、
許される。信長の妹・お市の方をめとる。       
本能寺の変後、豊臣秀吉と対立し、賎ヶ岳の戦いで
敗れる。                          
秀吉は、丹羽秀長と柴田勝家から一字づつもらって
羽柴と称したのだが。                  

平成17年6月23日 中日新聞より
滋賀県長浜市教育委員会は22日、豊臣秀吉が築いた
長浜城の遺跡から、金箔を施すため漆が塗られた鯱瓦
が見つかった、と発表した。市教委は、秀吉が本能寺の
変の翌年に柴田勝家を破った賤ヶ岳の合戦(1583年4月)
直後、諸大名に天下統一を知らしめるため、長浜城に
金箔を使ったとみている。



大阪城
大阪城
大阪市中央区大阪城
1583年9月大阪城築く。




野呂塚と八幡林古戦場

愛知県犬山市羽黒

1584年3月17日
この地一帯は、八幡林古戦場といわれている。

長久手古戦場
長久手古戦場
愛知郡長久手町武蔵塚
1584年3月小牧・長久手の戦い始まる。

蟹江城址
蟹江城址
愛知県海部郡蟹江町蟹江本町

大野城址
大野城址
愛知県海部郡佐屋町大字大野字郷前218
小牧・長久手の戦いが、一進一退の状態となって
いた1584年6月、羽柴秀吉は一気に勝利を決しよ
うと蟹江城を味方に引き込み、滝川一益・九鬼義
隆の水軍で大野城を攻めた。           
織田信雄の家来、大野城の山口重政は、母を人質に
取られながらも節を曲げず、大野城を守り、蟹江城と
戦った。やがて徳川家康がかけつけ蟹江城を占領し
た。                             
この戦いこそ、後に家康が天下をとる基となったその
由緒ある城址である。                   



1585年7月11日関白となる。

佐々成政居城跡
佐々成政居城跡
名古屋市西区比良3(光通寺)
佐々成政は織田信長の臣で、1573年朝倉攻め、
1575年の長篠の役や越前一向一揆鎮圧の功に
より、越前(福井県)五分市・小丸の城主となる。
その後、越中(富山県)に軍を進め、冨山の城に
  移る。                         
信長の死後、秀吉に対抗し、攻められて降伏、 
1587年秀吉の九州征伐に従い、肥後(熊本県)
に移封された。                   
1585年8月20日佐々成政が恭順の意を表す。

1586年5月旭姫を家康に嫁がせる。






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