豊臣秀吉・フォトストーリー


学生時代に司馬遼太郎氏の「国盗り物語」を読んだのです。
 「幕末の坂本竜馬は明智左馬助(弥平次)光春(秀満)の子孫であるという。」
 この一節の中にひょっとしたら歴史の秘密があるのではと思わされたのです。

 むろんこの種の家系伝説というのはほとんど付会説か作りばなしが多いのですが、坂本家の紋が光秀の桔梗紋を継いでいることを思うと、坂本家ではたてまえとしては左馬助の子孫を称していたことを思うと不思議でならないんです。

                   豊臣秀吉
          

                  
名古屋市中村区(常泉寺)

 そのため、ことあるごとに明智光秀を追い、光秀の関係者達を訪ね求めていったのです。
 光秀を探し求める旅は、ライバルの豊臣秀吉を尋ね求める歩みでもあるのです。
 そこで、1536年豊臣秀吉の誕生から年代を追って写真とともに見ていきたいと思います。
 このように見ていくことが、私達一人ひとりの人生にとても役立つのです。


 はじめは史跡探訪のどこがいいのかと思われるかもしれません。
 しかし、何度も訪れるうちに、だんだんと面白さを感じるコツのようなものが身についていくようになります。

 このお城があったからこのような町が出来たのかとか、このお城とこのお城のためにこの道が出来たのかとか。だからこんな事件がこの場所で起きたのか。

 あのヴィジョンをもったから、あのようなことをしたのか、そしてそれに必要な人物や物が集まったのか。

 あるいは、なるほど、あの人物はここで生まれたのかとか、いろんなことがつながりだすのです。

このようにみていくと、あのお城とこの道とあの人物と私は無関係ではないような気がしてくるのです。

このような観点を身に付けていくと、大げさではなく人生が変わっていくのです。

あなたもあなたの近くの史跡から訪ねてみてください。
あなたの新しい世界が広がっていくますから。心から応援しています。

 さらに最近は、加藤廣著「秀吉の枷」のこの部分が私の心をはなしません。
秀吉は丹波の≪山の民≫の出身である。それも遠祖は藤原氏の最も高貴な血筋に遡ると信じている。父弥右衛門の代に、豊沃な土地・尾張中村在に降りて平地への≪溶け込み≫を図った。ただの農民の子を自称しているのは、そのほうが出身を探らず、警戒心を抱かれないために過ぎない。内心では、自分の血は≪天皇側近筆頭≫との自負と誇りを持ち続けている。
様々な説があると重いますが、なぜかこのことが重要な意味を持つのではないかと思わされたのです。今後このことも尋ね求めていきたいと思います。


    

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         虹の向こうに(オープニングムービー)
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