豊臣秀次


豊臣秀次銅像

近江八幡市

豊臣秀次居館跡

近江八幡市

瑞龍寺

近江八幡市宮内町

村雲御所瑞龍寺の開山は高野山で自害させられた
豊臣秀次の菩提を弔うため、生母の瑞龍院日秀尼公
が文禄5年(1596)京都の村雲の地に建てたことには
じまり、昭和36年(1961)に八幡山の地に移築された。

金剛峯寺

和歌山県伊都郡高野町高野山


金剛峯寺
明治2年(1869)、青巖寺と興山寺を合併し、金剛峯寺と
改称。青巖寺は豊臣秀吉が亡母の菩提のために建立、
豊臣秀次が自刃した場所としても知られている。

豊臣秀次
貴船社
貴船社
愛知県海部郡美和町乙之子屋敷

案内板によると。
この神社は1592年豊臣秀次公の関白就任の祝い
と武運長久を祈願するため、実父である三好良房公
が社殿を造立したことがはじまりといわれる。吉房公
は乙之子字元柳の通称「侍屋敷」に住んでいたと伝
えられ、そこで秀吉公の姉智と結婚することにより思
わぬ運命をたどる。始めは秀吉公の馬の口取りとして
仕えますが、秀吉公の出世につれて取り立てられ、
尾張犬山城を任せられるまでになる。さらに長男
秀次公が秀吉公の養子となり関白として京都に出向
くと清洲の守護者である秀次公の代わり尾張の政治
を司っている。しかし、秀吉公に秀頼公が誕生するや
事態は急変する。秀頼擁立派により秀次公は謀反の
嫌疑をかけられ高野山にて蟄居。そればかりか吉房
もこれに連座させられ讃岐に配流の身となる。さらに
秀次公にかかわる城や聚楽第さえも破棄するなど
その弾圧は徹底して行われた。そのためこの神社は
吉房公と秀次公に関する重要な史跡の一つである。


貴船社
貴船社
愛知県海部郡美和町乙之子屋敷



貴船社

愛知県海部郡美和町乙之子屋敷

瑞泉寺



京都市中京区木野町

豊臣秀次公画像

美和町歴史民俗資料館

画像の原本は京都・瑞泉寺にある。

水争い裁きの像


日野川新桐原橋

八幡城や城下町建設の最中に起きた日野川の争いで、
領主自ら現地をつぶさに視察し、双方の言い分・主張を
聞き、双方を納得させ穏便に水争いを鎮めたと言われる。







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