服部半蔵











東京都千代田区麹町

江戸城にある門の一つ。名前は、警備を担当した
徳川家の家来服部正成・正就の通称「半蔵」に由来。

皇居の半蔵門




半蔵は、本能寺の変の際、上洛中の家康を一族
挙げて護衛。これが「伊賀越え」。、この時指揮官
として、的確に働き家康の命を守ったとことにより、
その後も、徳川家康から重用されることになる。

伊賀越え
織田信長が明智光秀に本能寺で討たれ、危機を
感じた徳川家康が堺から伊賀を越えて岡崎まで
逃げてきたことが、いわゆる伊賀越えである。


一宮市北方町宮浦(一宮市立北方中学校)

長谷川秀一
織田信長の側近で数々の奉行職や検使などを務
めた。天正10年(1582)、徳川家康一行は、信長の
本拠地安土を訪れた。秀一は接待を命じられ、上方
見物の案内も務めた。堺滞在中、信長が本能寺で襲
われたため、家康らと伊賀越えで熱田まで逃れた。

穴山梅雪
穴山梅雪は、一行より少し遅れたため現在の京都府
京田辺市の山城大橋近くで土民に殺害されている。

穴山梅雪は武田氏の一族。母は武田野信虎の娘で
武田信玄の姉。妻・見性院は武田信玄の娘。



どうして徳川家康に属した穴山梅雪が死に、織田
信長の家臣の長谷川秀一が徳川家康らと伊賀越え
で熱田まで逃れたのだろうか。不思議でならない。


四日市市浜町

徳川家康が本能寺の変を聞き、伊賀越えをして
四日市まで来て三河へ帰国するとき、海路に
するか、陸路にするか、思案に暮れた、という
故事からこの橋の名が付けられたという。

思案橋





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