服部小平太
雲居寺
津島市北町32
今川義元に一番槍をつけた
服部小平太の菩提寺。
北町はもと「北口」といった。名古屋から津島へ
入る「上街道」の北の入口にあたるから木戸が
あって木の柵がゆわえてあった。(下街道の入口、
今市場にも木戸があった)町の東側にある雲居寺
は永亨12年(1440)服部伊賀守が建てた寺で、
その子孫の小平太は、織田信長に仕え、桶狭間
の戦で、今川義元に一番槍をつけた勇士である。
本能寺の変後は、豊臣秀吉に仕えるが、豊臣秀次
事件に連座して所領を没収され、上杉景勝に預けら
れた後、切腹を命じられた。と、ありますが、・・・・・・
浜松には、こんな史跡がありました。
他の人物と混同しているのでしょうか。
服部小平太の墓
浜松市細江町
服部小平太は、永禄3年(1560)5月19日の桶狭間
の戦いで、織田の家臣として、毛利新助らと共に、
今川義元を討ち取った功労者であった。この地方が
徳川の勢力下に入ると、小平太は信長亡き後、
家康の家臣として、勲功によりこの地を治めた。
もともと今川領だったこの地方には、桶狭間に出陣
して戦死した者もあり、天正15年(1587)6月18日、
小平太は単身この地を巡視の折、長坂の途中で
暗殺された。その場所はここより数十m上にある、
祥栄院殿湖雲浄鑑賞大居士と刻まれているこの
墓は、初め二代中保正により建てられたが、七代
中保貞が新たに建て直したものである。ここより北へ
200mの所に小平太を祀ったとされる宗安寺の跡がある。
服部小平太最期の地
新谷の宗安寺
新谷は、江戸時代には落合の渡しの宿場町でした。
この新谷を見下ろす丘の上にあった宗安寺は、
永禄3年(1560)桶狭間の戦いで、今川義元を討ち
取った服部小平太中安次がまつられた寺でした。
明治時代の廃仏毀釈により、現在は石段と庭の
一部、石仏が残っているだけとなりました。
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