長谷川秀一
一宮市北方町宮浦
この碑は以前秀一公旧居跡と伝えられる
北方町下渡公民館付近に建てられてい
たが、都合により、ここに移転した。
越前国東郷15万石の大名。
一宮市立北方中学校
長谷川秀一
一宮市北方の人。信長の側近で数々の奉行職や検使
などを務めた。天正10年(1582)、徳川家康一行は、
信長の本拠地安土を訪れた。秀一は接待を命じられ、
上方見物の案内も務めた。しかし、堺滞在中に、信長
が本能寺で襲われたため、家康らと伊賀越えで熱田
まで逃れた。翌年秀吉に従う。小牧長久手合戦では、
羽柴秀次の三河侵攻軍に加わったが、長久手で破れた。
越前東郷城主(15万石または11万石という)となった。
朝鮮出兵では、羽柴秀勝、細川忠興らと渡海したが、
晋州城攻めで大敗した。文禄3年(1594)の現地で
病死したというが、帰国後の死亡説もある。
一宮市木曽川資料館
一宮市木曽川町黒田
伝長谷川邸跡に建つ。
織田信雄家供養等
安土城
信長次男織田信雄を始祖とする大和松山藩主
の五輪塔四基が並んでいる。右から初代信雄、
四代信武、三代長頼、二代高長の供養塔。
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