岐阜城下の大通り
岐阜市
ここは武家屋敷地と考えられる地点です。
織田信長の居館の西側には「大道」と呼ばれた
道路をはさんで武家屋敷が広がっていました。この
調査区もその一部と考えらます。現在、戦国時代
の地面まで土を掘り下げながら、当時の建物の
柱穴のあとや敷地の境などを調べています。
織田信長の居館跡の発掘調査を進めている岐阜市
教育委員会はH19.10.11、信長が手がけたとみられる
庭園跡を発見した、と発表した。信長の庭園はルイス・
フロイスの著書「日本史」にも登場するが、池の記述
が発掘現場の状況と酷似しており、市教委では「信長
の庭園跡であることを裏付ける貴重な発見としている。
読売新聞(H19.10.11)
岐阜公園
このような池になっていたのでしょうか。
石列と石敷遺構の周囲には粘土の層が堆積している。
黒い所は、信長時代以前(斉藤時代)の焼け跡とか。
3区の調査場所の写真
3区の調査結果
礎石と壁土が見つかったことから茶室か蔵の可能性。
出土品
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