大徳寺総見院



京都市北区紫野大徳寺町

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天正11年(1583)信長の一周忌に豊臣秀吉が
法要を営むために建てた織田信長の菩提寺。



織田信長の一族の五輪塔。帰蝶、お鍋の方、
徳姫などの墓がある。普段は、拝観謝絶。

正門・土塀


いずれも天正11年(1583)秀吉公が創建した当時
そのままの姿で現存する。土塀は「親子塀」
といわれるもので、塀の内部に塀がもう一つ
設けられた珍しい二重構造になっている。

信長公座像

これは岐阜城にある複製。

豊臣秀吉が追善供養の為、二体作らせたとのこと。
信長は死体が残らなかったので、一体を一周忌
法要の時に、遺体のかわりに燃やしたそうである。




左より信雄、信長、信忠。

信長公一族の墓


鐘・鐘楼


鐘楼は創建当時のもので、鐘・鐘楼ともに
重文。信長公の家臣、堀久太郎秀政の寄進
によるもの。鐘の銘文は開祖、古渓和尚の作。

掘り抜き井戸


井筒の部分が大きな朝鮮石で彫り抜かれた珍しい
もので、加藤清正が朝鮮から持ち帰ったと伝えら
れる。今なお井戸水はこんこんと湧き出ており、
毎朝もお供えのお水に使用されている。

侘助椿


総見院は、天正11年(1583)に豊臣秀吉が織田信長の
菩提を弔うために建立した寺である。総見院のワビス
ケは、秀吉が千利休から譲り受け植えたものが大き
くなったと伝えられている。ワビスケは、花が小さく
早春から咲き、茶花としてもよく用いられるツバキの
園芸品種であるが、この木はこの品種の現存する
最も古い個体であり、貴重である。昭和58年6月1日
京都市指定天然記念物に指定された。


崇福寺

岐阜市長良福光2403-1

側室小倉なべ消息(折り紙)
天正10年(1582年)6月、信長・信忠親子が本能寺の
変において明智光秀に討たれ、側室小倉氏が密か
信長公の首級を当寺に葬ったとのことである。

位牌堂


位牌堂は、土壇の上に4m四方の格子塀に囲まれて、
宝形胴葺屋根木造彩色の小堂に父子の位牌が安置。

この位牌堂には、京都・大徳寺で執り行われた信長
の葬儀の野位牌とされるものが納められている。


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