阿閉貞征
山本山城
滋賀県伊香郡高月町西阿閑
平安時代後期、源頼義の三男・新羅三郎義光の
系譜をひく源(山本)義定・義経が築城したと伝え
られています。山本義経は、源平争乱の時、平家
打倒の旗を上げましたが、治承4年(1180)12月
16日に平知盛らに攻められ落城しました。戦国
時代には小谷城の支城で織田信長の小谷城攻
めの時、浅井氏の家臣阿閉淡路守が守ってい
ました。元亀3年(1572)3月に織田信長の家臣
木下藤吉郎に攻められましたが、阿閉淡路守は
よく守り、落城しませんでした。翌年8月、阿閉
淡路守は織田信長に降伏し、開城しました。
山本山城主。1582年、本能寺の変で明智光秀に
加担し、秀吉の長浜城を攻めた。しかし、光秀が
山崎の合戦で敗れると秀吉に追討された。
滋賀県伊香郡高月町西阿閑
山本山城主。1582年、本能寺の変で明智光秀
に加担し、秀吉の長浜城を攻めた。しかし、
光秀が山崎の合戦で敗れると秀吉に追討される。
小谷城の支城
小谷城跡碑
滋賀県東浅井郡湖北町伊部
本能寺の変で明智光秀に加担。
戻る