足利尊氏


等持院

京都市北区等持院

足利尊氏の墓


霊光院


足利尊氏の木造もある。



足利歴代将軍も遺髪塔



小子坊

京都市南区九条町



かって西院大師堂の一面にあり、
建武3年(1336)6月14日より半年間、
北朝の光厳上皇は、ここで政務を
みることとなり、尊氏は千手堂(食堂)
に居住したといわれる。


大門(不開門)鎌倉時代

京都市南区九条町

創建年代は不詳。現存の建物は建久9年
(1198)、文覚上人の大勧進によって再建。
建武3年(1336)6月30日、新田義貞が
決死の覚悟で東寺の足利尊氏を攻め、
危機に陥って尊氏は門を閉めて、
危うく難を逃れることのできた故事により
「不開門」とも呼ばれている。
のち慶長10年に豊臣秀頼が大修理を
加えたものと伝えられる。






足利尊氏石宝塔

岡崎市大門3

塔身には、延文3年(1358)4月、晦日に没した
足利尊氏の供養のため足利内蔵之尉が建立
したことを示す銘文を扉枠とともに刻する。
大門は古くから対岸の北野と結ぶ矢作川
の渡河点として交通の要衝であり、
石宝塔建立当時、この地が足利氏系有力
氏族の勢力範囲であったことを示している。



長寿寺

鎌倉市

長寿寺
当山は臨済宗建長寺派で1358年(延文3年)
足利尊氏の菩提を弔う為、第4子基氏によって
尊氏の邸跡に創建された。当時は七堂伽藍を
備えた関東諸山第1位の寺と古文書に記され
ている。境内奥に尊氏の遺髪を埋葬したお墓
がある。因みに尊氏の法名を関西においては
等持院殿、関東では長寿寺殿と称す。
本堂内陣右側に尊氏座像が祀られている。


鎌倉市

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