荒木村重
本来なら、兵庫県の伊丹城(有岡城)の写真が
ふさわしいのですが、ちょっと遠いので、村重に
関係のある写真で説明していきたいと思います。
光秀より4年前に信長に反逆した武将として知られている。
明智光秀像
滋賀県大津市下坂本3
荒木村重の嫡男・村次は、明智光秀の娘・倫子
(養女とも)を正室に迎えていたが、父・村重が
織田信長に反逆した際に、離別している。後に
倫子は明智秀満の正室になっている。
明智左馬之助湖水渡りの碑
大津市
明智左馬之助湖水渡りのところ
天正10年(1582)6月2日、明智光秀は主君・織田
信長を本能寺に攻めて自害させ、天下を奪ったが、
山崎の合戦で秀吉に敗れ、その野望は消え失せた。
光秀の弟左馬助光春は、信長の居城・安土城を
攻めていたが、兄の死を聞いて急ぎ坂本城へ引き
返す途中、打出浜より路を湖水に求め愛馬にまたがり
びわ湖を渡り坂本に帰った。しかし、時すでに遅く、
秀吉の軍勢に囲まれ、6月14日、光秀の妻子らと
ともに、城と命運をともにした。湖水渡りの勇姿は、
今も講談などで語りつがれている。
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