安祥城址
愛知県安城市安城町城堀
安祥城址
室町時代中期の1440年和田親平の築城と推定され、
はじめ森城と呼ばれていました。三方を湿地にかこま
れた大地突端に位置し、北部接続部に濠を掘った中
世の本格的城郭(平山城)でした。
1471年ころ、松平信光が攻め取り、以後50余年間、
安城松平4代(親忠・長親・信忠・清康)の居城となり
ました。また、松平氏の本拠が岡崎城へ移ると、この
城をめぐって松平・今川氏と織田氏との間に、1540年
から10年の間に5度に及ぶ攻防戦がくりひろげられ
ました。
浄土宗大乗寺
愛知県安城市安城町城堀
本多忠高墓碑
愛知県安城市安城町城堀
多忠高墓碑
1549年3月、今川・松平連合軍は、今川雪斎を将として
2万の大軍をもって、安祥城(城将織田信広)を攻撃しま
した。
松平方の主将本多忠高は城の防衛線を攻め破り、本丸
近くまで迫りましたが、ここで戦死しました。
この戦いを第4次安城合戦といいます。
この石碑は1797年本多忠顕(岡崎城主)が250回忌を営
み、忠高戦死の場所に建てたものです。
子・本多忠勝像
愛知県岡崎市・岡崎公園内
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