明智小五郎


江戸川乱歩が創作した名探偵。
命名の由来は、明智光秀と桂小五郎
(木戸孝允)の上下を取ったもの。

木戸孝允
明治初期の代表的政治家。
長州萩藩出身。通称桂小五郎。
薩長連合には、長州藩代表となり、大久保
利通らと王政復古を実現する。五箇条の
誓文起草に関与し、版籍奉還を首唱。

桂小五郎

京都市中京区河原町御池

白山神社(岐阜県山県郡美山町中洞)では、
 「天正十年山崎の合戦で羽柴秀吉に討たれ死んだのは、
光秀の影武者荒木山城守行信である。明智光秀は、
荒木山城守の忠誠に深く感銘し、この事実を子孫に
伝えんと荒木の「荒」と恩義を深く感じての「深」で自ら
を荒深小五郎と名乗り西洞寺の林間に隠宅を
建てて、乙寿丸と共に住んでいた。」とある。

光秀の墓

白山神社



乱歩は明智小五郎をどのような思いで創作したのだろうか。

明智光秀像

滋賀県大津市下坂本3

江戸川乱歩は、本名・平井太郎。
1894年三重県名張町(現・名張市)の
生まれ、生家は藤堂藩士の連なる家だった。

藤堂高虎の養子・高吉が慶長十三年に名張に
津藤堂藩の藩内領主として入城したが、この名張
藤堂家の家紋は桔梗紋である。名張城の建って
いた丘を「桔梗ケ丘」と呼び、「桔梗が丘」駅がある。


 *なお、藤堂高虎は、1573〜1576頃織田信澄(信長の甥)に仕えている。
 光秀の娘は、信長の命により、1574年1月、織田信澄に嫁いでいる。
 本能寺の変のあと、信澄の子(光秀の孫) は藤堂高虎にひきとられている。


近鉄・名張駅の隣には桔梗が丘の駅がある。

近鉄大阪線・桔梗が丘駅


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