明智薮・明智光秀胴塚


明智薮

京都市伏見区小栗栖小阪町

明智薮
近江坂本城主、明智光秀は1582年(天正10年6
月2日)早朝、中国地方へ出陣のため上洛して
いた織田信長を本能寺に襲撃して自刃させた
(本能寺の変)。その後光秀は、6月13日山崎
の合戦で、秀吉軍に敗れ、近臣十数名とともに
暗夜に乗じて坂本城をめざしたが、途中小栗
栖の附近にさしかかったところを信長の近臣
小栗栖館の武士集団飯田一党の襲撃によりあ
えない最后を遂げたといわれている。この明
智薮は、今日に至るまで、戦国武将明智光秀の
終焉の地として伝えられており、現在は、西側に
ある本経寺(日蓮本宗)の寺領となっている。



明智光秀胴塚

京都市山科区勧修寺

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