挙句の果て

「挙句」とは、連歌や連句の最後の七・七の句のことで、最初にくる句は「発句」という。

最後にくる句であることから、最終的な結果や結末を意味するようになる。
最終的な結果であることを強調するために、
同じ「結果」を意味する「果て」が添えられ、「挙句の果て」となった。




愛宕百韻は、524日あるいは528日の興行という。

百韻とは、100句詠み連ねる連歌の形態である。

連歌は短歌の五・七・五の上句と七・七の下句を
交互に詠み続ける一種の連想ゲームである。
また、古来、人々は神や仏に祈願したり感謝するときに和歌も奉納されていた。

愛宕百韻での明智光秀の発句は、

ときは今 天が下しる 五月哉

第二句は愛宕山威徳院の行祐が

水上まさる 庭の夏山と詠む。

百句目の挙句は、明智光秀の子・光慶が

国々は猶 のどかなるころと詠む。

挙句の果ては、国々は猶 のどかなるころ

心が、救われたような気がする。




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