安土の血天井
大崎寺
滋賀県高島市マキノ町海津・大崎寺
天正10年6月2日払暁、明智光秀が主君織田信長を
京都本能寺に殺害した後、信長の居城安土城を攻
めた。その際、城を守っていた蒲生賢秀は、変を知
るや、信長の夫人、幼児らを奉じて日野城に難を
避けたが、襲撃の目的が達せられなかった光秀は
せめて金銀なりとも奪って家臣に与えようとしたため、
攻撃は惨を極め、城を居留っていた信長の家臣は
皆奮戦ののち切腹して果ててしまった。天正晩年、
豊臣秀吉が、このとき戦死した人々の菩提を弔う
ため、その忠血で彩られた城材をもって大崎観音堂
の修繕に充て、大に法要を営んだ。これが安土の
血天井と呼ばれ、昭和41年の観音堂改修に際し、
本阿弥陀堂に移されたものであるが、今も梅雨期には、
血痕が滲み出し、その痕跡が現れると云われている。
明智光秀の桔梗の紋とは関係ないとのこと。
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